第五話




 うだるような暑さに汗が首筋を滴り流れ、ワンピースの隙間から胸元を濡らした。
その冷たさが更に不快で、ルキアはパタパタとワンピースの胸部部分を扇がせる。
「一護、暑いぞ」
「俺に言うなよ。…いてっ」
 百パーセントのやつあたりで、前を歩いていた一護に蹴りを飛ばす。
夏は義弟のオレンジ頭が羨ましくて仕方が無い。黒髪は熱を集めやすいのだ。

 太陽の高いうちから私服で歩き回れるのは休みだからこそだが、
同時にそれがここまで苦痛なのは夏休みゆえだ。

(どうやら私は暑いのが苦手らしい)

 その上、強い日差しに弱いようだ。
夏に入って間もなく、剥き出しの白い腕はあっさりと赤くなり、ひりひりとした痛みをルキアに与えた。
夏などさっさと終わってしまえばいいとさえ彼女は思う。



 考えすぎた脳は死滅寸前。
 さらにこの暑さで、思考は全くまともに巡ってくれない。

 そのぼんやりした頭で、莫迦みたいだ、と呟く。

 紅髪の「死神」と出逢った夜は、色々な感情が混ざり合って眠れなかった。
次の日も、授業中忙しなく窓の外を見たりキョロキョロしたりで、教師に怒られた。
その次の日は高校の終業式で、現実を見せ付けられただけで終わった。
 そんなこんなで今日になってしまって、今はもう拍子抜けした気分だ。


 ルキアは空を見上げる。ジリジリと太陽が照り付けて、空が歪んだ。


(あの男は、本物を見つけたのだろうか)

 彼が探しているという死神を。
 それが見つかったのなら、彼はもう自分の所に来ることはないのだろう。





―――嘘つきめ。




 拗ねた子供のような言葉が脳裏に浮かび、苦笑する。
 『あちらの世界の者』に、約束だの嘘つきだのというほうが間違っているのだ。
 元々は人違いからの約束なのだし、例え彼がもう現れなくても、
自分には彼を責める理由がどこにも無い。
 せいぜいどこか遠くにいる彼に、見つかって良かったなと心の中で送るぐらいだろう。


 (いつか私にも現れるだろうか)


 私を迎えに来てくれるひとが。
 いるのならば、早く来てほしいと思った。それが彼みたいな人だったらいいと思った。
 ………最後に笑ったあんな顔で、誰か迎えにきてほしい。






「おい、どうしたんだ、ルキア」
「………え?」

 気がつけば思考の渦に身を浸していたルキアは、一護の呼び声で我に返った。
 見上げれば、眉間に一本線を増やした一護がルキアを見ている。
 怒っているようにも見える表情は、本当はただ心配しているだけのそれだ。

「え、じゃねーよ。言っとくけど、成績のことで悩んでんなら今考えたって無駄だぞ」
「なっ…!!!ち、違うぞ!私は…」

 顔を真っ赤に染めて反論する。先日配られた成績表があまりにも無残だったことは、
彼女にとってむしろ忘れていたいことだった。国語以外が全滅で、はっきり言って見せられたものじゃない。
 おかげで昨日の夕食時の彼女の顔は暗かった。学費まで出してもらってるのに申し訳ないと一心に謝ったところ、
気にすることはないとハイテンションに宥められたが、彼女の性格上気にせずにはいられないだろう。
 一護は歩みを進めながらそっぽを向く。慰めるという行為が気恥ずかしいのか、どこか憮然とした口調になった。
「仕方ねーだろ、記憶混乱してんだから。お前物覚え悪くねーし、成績だってすぐに上がるだろ」
「あ、当たり前だ!……大体、私はそのことを考えていたわけではない」
「あ?じゃあ何だよ」

 問われた言葉に逡巡する。あの紅髪の男のことを話すわけにもいかない。
けれど、一人で考えを巡らせるのにも少し疲れてきたのだ。唇は重く開き、ゆっくりと問うた。

「………貴様は、死神を見たことがあるか」




「無いな」
 あっさりと答えが返ってくる。それ以外に答えが無いような断定口調に、それでもルキアは問いを重ねる。
「本当に?」
「ねえったらねえよ。だからいるとも思わねぇ。俺は見たことないものは信じないんだよ」
「……そう、か」
 一護の言葉が本当だということは、彼の態度を見ればすぐに分かる。
小さく肩を落としたルキアに不自然さを感じた一護が眉を歪めた。
「どうしたんだよ、いきなり」 「―――いや、お前は私より霊感が強いらしいからな。
私にも見えないものが見えるのではないかと思っただけだ」
 死神に逢った、などと言えるわけもない。誤魔化しの言葉は穏やかだった。
一護は面白くなさそうな表情のまま、あんまいいもんじゃねーぞ、と小さく口角を上げる。

「―――なぁ、ルキア」
「何だ?」
「言っとくけど、変なヤツには近づくんじゃねーぞ」
「……変なヤツ?」
ルキアはその時初めて一護の言葉に含まれる真剣さに気がついた。

 変なヤツ、などと。
一心とは違い、今までルキアに対して変質者の類についてさえ何も言わなかったのに。


「幽霊とか、あっち側の奴ら。……まあ、危ないやつに干渉すんなってことだ」

『あっち側』。その言葉に、紅髪の男が脳裏によぎる。
 彼が危ない存在だとは思わないけれど―――と、思ったところで、
ふと最初に目の前に降りてきた時の目を思い出した。



 ギラギラとした怒りに燃えた瞳。
 あれもきっと彼の本性なのだ。最後に見せたあの笑顔はきっと「本物」に向けられるはずのもので
「自分」に向けられたものではないし、「本物」以外にあの穏やかな表情を見せるとは限らない。
 何より、彼が本当に死神だとしたら。


 ぐるぐると考えて、最後、ルキアは俯いた。強い日差しが伏せた睫毛の影を作る。
 莫迦みたいだ。





 どちらにしても、もう逢うこともないだろうに。



 思考の海から抜け出したルキアがやるべきことは、義弟に対して不敵に笑いかけることだった。
 一護は家族が霊的存在に関わるのを嫌がるのだ。心配は、少しでもかけないほうがいい。


「……性格的に考えて、それは貴様のほうがやりそうではないか?」
「俺はいいんだよ。ある程度見分けもつくしな」
「人を止めるなら貴様もやめておけ。それとも、拝み屋にでもなるつもりか?」
「ぜってーカンベン」

 心底嫌そうな顔に、ふふと小さな唇から笑い声が零れた。









「もーう、お兄ちゃんもルキアちゃんも早く来てよぉ!」

 道の先で遊子がぶんぶんと手を振る。お気に入りの白い帽子を久しぶりにかぶったからか、
それとも大好きな兄と姉二人を連れて歩けることが嬉しいのか、足取りは随分と軽い。
 ここに夏梨がいれば遊子と並んで歩いてくれるのだろうが、
ドライな夏梨は「あたし、こんな暑いなか歩きたくない」と外出を拒否したのだ。
 その時は夏梨に同感だと思ったが、遊子が満面の笑顔で走り寄る自分たちを迎えたのを見れば、
まぁこれも悪くないだろうと思い直す。




 迎えに来てくれる人がいなくても、居場所は少しずつ出来始めているのだ。








>>>