第四話









「お姫さん、見つかったんだってな」

 静かに、けれど戯れを含んだ声をかけてきた檜佐木修兵に、恋次は歩みを止めた。
 修兵は回廊の柱に寄りかかり、屋根の辺りを見つめていた。
 その視線だけを恋次にずらして、ニヤリと笑う。どうやら『その話』をするために待っていたらしい。


「……相変わらず情報が早いっすね、檜佐木先輩」
「当たり前だろ。そもそも、俺がお前に朽木の情報流したんじゃねぇか。
そのお前が『現世に一晩行ってた』ってことは、目的は一つしかねぇだろ」

 至極当然という顔に、恋次は感謝してますよと苦笑する。




 修兵の言うとおり、最初に「朽木ルキアらしき存在を発見した」という情報を恋次に流したのは彼だった。
 社交的で顔が広い修兵は、他の者が滅多に出入りしない変人の巣窟・技術開発局にも知人が多い。
 そこに立ち寄って知人を訪れたある日、彼はモニターに映る黒髪の少女を見たのだ。
 身に纏うのは現世の学校の制服で一見ただの人間にしか見えなかったが、修兵は彼女をよく知っていた。
 小柄で華奢で、肩までの黒髪と美しい紫紺の瞳を持つ娘。



 ―――現世で行方不明になったと騒がれている、朽木ルキア以外に誰がいるだろう。


 本来超過滞在の死神の報告は刑軍に送る。
 行方不明になっていたルキアも当然その対象となり、連れ戻した後に裁かれるはずだった。
 それを敢えて伏せ、六番隊の恋次に流したのは、ただ単に恋次が彼女の幼馴染だからではない。







 霊圧が感じられないと、同じくモニターを見ていた阿近は言った。

『義骸に入ってたとしても霊圧は捕捉できるはずなんだが、《アレ》は霊圧の欠片も無い』

 モニターに映ったのは偶然だった。
 局員の暇つぶしで流されていた現世の光景に、偶然彼女が紛れ込んでいただけだった。
 ―――他の人間たちと同じように。



 だからこそ修兵は、以前から彼女の行方を気にしていた恋次に知らせたのだ。
 彼ならば、必ず『動く』と知っていたから。



「で、朽木が戻ってきてないところを見ると……やっぱりなんかあったのか」
「ありましたよ。……でも、俺にはよく分からねぇ。こんなこと聞いたことないっスよ」
 恋次は苛立つ感情を隠すことなく、ガリガリと頭をかいた。元々頭で考えるよりも実践派だ。
 斬術や斬魄刀の扱いは他より格段に飛びぬけていたが、知識や、特に鬼道はからっきしだった。
 決して馬鹿なわけではないが、答えの出ない迷宮をさ迷い歩くのは性に合わないのだ。

「結局あれは朽木だったんだよな?」
「それは、間違いないです」

 修兵の問いに、恋次は確りと頷いた。長年ルキアと生を共にした、それから来る自信だった。
 修兵は更に問う。
「じゃあ、あれはどういう義骸だったんだ?」


 死神の霊圧が捕捉できないなどということは有り得ない。
 義骸に入れば若干霊圧が抑えられるが、それだって技術開発局の管理下にある。
 捕捉できないはずは無いのだ。それなのに、何故、何も感じないのか。

 恋次は一つの答えを持っていた。けれどその答えは、それこそ『有り得ない』ことだった。

「俺が現世で見つけたルキアは、










―――――――人間だったんスよ」



「………………ハァ?」

 何言ってんだ、と修兵が呟く。あまりに突飛な話に思考が付いていかなかった。

「それだけじゃねえ。記憶も、自分が朽木ルキアだってこと以外はこっちのこと何も覚えてねぇみたいだった。
 俺のことも、死神のことも、本気で分からないっつー顔してたんです」
「待て待て。そりゃ…他人の空似なんじゃねえの」


 修兵が思わずそう洩らしてしまったのも無理はなかった。
 死神が、人間に? ―――なれるわけがない。

 いくら現世と尸魂界を行き来できるのが死神の特権だといっても、結局は異なる世界の存在だ。
 同じモノになれるわけがなく、その術もない。
 かつて尸魂界を追放された者がいると記録されているが、その者たちだって人間になったとは聞いたことがないのだ。

 それならば―――それも考えにくいが―――同姓同名の別人だと思うほうが妥当だ。
 けれど、恋次は首を振る。

「あれはルキアっすよ。あんな顔してあんな口悪い女がそんなポンポンいちゃたまんねぇ」
「……なんか、俺もよく分からなくなってきたな」

 修兵が唸った。ありえないと思っていたことが起こっている。
 もはやどこが信じられないのかすら分からなくなる状況に、修兵はもう一度頭を整理しようと確認の問いを投げる。

「なぁ阿散井。本当に、そいつは人間だったのか?」
「はい。実際触って確かめたけど、あれは義骸でも霊子体でもねぇ。間違いなく、人間です」
 自分よりも幾年離れた後輩は、辞令がおりてからそれほど日が経っていないながら、
けれど立派に副隊長の顔をしていた。修兵は真剣に問う。

「……触ったって、どこを」

「いや、…頬と肩っスけど」
「チッ何だよ、だらしねぇな」
 舌打ちをする修兵に、いやそんな場合じゃないんすけど、と呆れる。
 この人の思考はどうしてすぐにそっちに飛ぶのか。
 けれど、恋次は彼を信頼している。協力者として、彼ほど信頼できる者は少ないだろう。
「とにかく、俺はしばらく現世に行きます。檜佐木先輩にはその間こっちで情報を集めてて欲しいんすけど」
「しばらくって……お前六番隊はどうすんだ。副隊長になったばっかだろ」

 大体、朽木ルキアが十三番隊所属である以上、今回の事件は十三番隊の管轄だ。
 現世に行って調査をするのも、普通ならば十三番隊の隊員が行う筈である。

「その為にあそこに行ってきたんすよ」

 あそこ、と指で示したのは十三番隊隊長の居る雨乾堂だった。
 十三番隊の隊舎の傍にあるそれは、二人が立っている回廊からよく見える。

 今度は修兵が呆れたように眉を歪めた。
 ―――こいつ他隊の仕事かっぱらってきやがった。

「あのなぁ、お前」
「隊長に許可は貰ってきました。『死神が人間になったかもしれない』異例事態の調査って名目で」



 ただ単に行方不明の死神の処罰なら刑軍に任せるしかないが、
 その前代未聞の事態を調べることを目的とすれば、そこには他隊の入る余地がある。
 調査の期間は一ヶ月。
 それは、六番隊副隊長の恋次が十三番隊隊長から特別に任務依頼を受けられる、ギリギリの期間でもあった。
 それまでに恋次は、ルキアの記憶を取り戻し、原因を解明し、彼女を尸魂界に連れ帰らねばならない。

「出来んのか?」
「…やるしかないっすよ」

 出来るか出来ないかなど考えていられない。

 彼女と共に生きること。ずっとずっと、それだけを望んで生きてきた。
 今ここで僅かに残された希望の糸に手を伸ばさなければ、自分はルキアの傍に居るどころか、
 姿を見ることも声を聞くことも叶わなくなってしまう。
 縋りつけるのならば、縋りつくしかないのだ。

 それに、と恋次は続ける。

「先輩、俺がこうするって分かってたでしょう」

 修兵は肩をすくめただけで、それ以上は何も口にしなかった。










 修兵が去ってから恋次はふとある場所を見遣り、そしてあることに気づいた。
 彼の視線は屋根に向かっていたと思っていたが、どうやらそれは違ったようだ。
 見事な枝振りの大木が、風に揺られ葉を一枚落とす。


 かつてその大木の下で、ルキアはよく一人考え事をしていた。
 朽木家という偉大すぎる養家は彼女に気安く近づく者を許さない。
 明るく元気な上官の女性が彼女を連れまわすことはあったが、それもいつもとはいかなかった。
 一人でいることに慣れたルキアは、あの木陰で密やかに己の心を休めていたのだ。
 伏せがちの睫毛は長く美しく、けれど感情というものを全て拒絶した表情は、心に悲哀を抱えた少女のそれだった。
 それを恋次は度々この回廊から見た。そのうちのいつだったかは、修兵も一緒だった。


 何で声かけねーんだ寂しそうじゃねぇか。



 怒鳴るでもなく冷静な声音で促された、その言葉の通りに声をかければ良かった。
 もっと早く彼女を引き寄せ、想いを告げていれば良かったのだ。




 そうすれば。




 ザザと音を立てて揺れた葉は、夏の匂いと少女の影を連れてきた。
 かつてそこにいた少女の影に、そして今は遠い場所にいる彼女に、誓う。

「……待ってろよ」

 ―――今、迎えに行く。






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