第一話









「ルキア、帰るぞ」
「ああ!」

 端的に帰宅を促す一護の言葉に、ルキアは軽く頷いて鞄を手に取った。
 それまで一緒に談笑を楽しんでいた織姫やたつきに「ではな、また明日」と手を振って、先を歩く一護を追いかけていく。
 その後姿に、織姫は頬に手を添えてしみじみと呟いた。

「黒崎君と朽木さん、ほんと仲良いよね〜」
「ま、そりゃ仕方ないんじゃん?」

 朽木ルキアは黒崎一護の義姉だ。血は繋がっていない。
 父の一心が引き取った亡き友人の子なのだという。

 母親のいない家族に突如現れた新しい『家族』は近所の噂話を独占するには十分で、
やれ隠し子だ腹違いの姉弟だと口さがない噂をする者も多いが、一護の幼馴染であるたつきは事情をよく知っている。
―――あえて表沙汰にはしていない事情も含めて。
 ルキアが身に覚えのない陰口にさらされることなく新しい学校生活を送れたのは、
ひとえにたつきがさり気なくフォローを入れてくれたからだろう。
 そのおかげで、最初こそ好奇の視線にさらされた一護とルキアの下校風景も、
二ヶ月経った今では日常の一つになっている。


「一護の奴はそこんとこいまいち気が利かないし、最初はすごく過保護だったじゃん。
あれがいけなかったんだよなぁ。おかげで変な噂が立って、危うくルキアに友達が出来ないとこだったもん」
「朽木さんも最初の頃は緊張してたもんね。すぐに仲良くなれたから良かったけど!」
 転校したての頃、過度の緊張で妙なお嬢様口調だったルキアが、実は男じみた古風な言葉を使うとは、
クラス中の誰もが思わなかったことだ。高嶺の花のイメージはだいぶ薄れたが、代わりに親しみやすさが生まれた。
 たつきもそれを機に彼女の呼び方を「朽木さん」から「ルキア」に変えたのである。

 すっかりクラスに溶け込んだ友人に安堵して、二人は小さく微笑みを浮かべた。





 夏が来ている。梅雨が明けたばかりの気候はカラッとしていて、下校時刻になってもまだ空は明るい。

 雨が嫌いな二人にとってはそれだけでも心が軽くなる心地がした。
 一護は歩調を緩めながら隣を歩く少女を見る。
 この二ヶ月で、一護の隣はすっかり小さな義姉の位置になった。
 性格上の問題なのか、会った当初から喧嘩ばかりしていたが、今ではそれも親しみを含んだものになっている。


  ―――大事な家族だ。


 だから、一護は少し声を窄めて、ルキアにしか聞こえない声で問う。


「なぁ、ルキア。親父に、両親のこと聞いたんだって?」
「……」
「なんか言ってたか?」
「……ああ」
 ルキアは歩く己の足の先を見つめていた。前髪が流れ落ちて、表情がよく見えない。
 ただ、声だけは明るく張り上げるようなそれだった。

「父は一心殿には劣るがいい男だったらしい。母も美人で、私は母によく似てるんだそうだよ。
私は両親に目に入れても痛くないほど可愛がられていて、黒崎家に負けず劣らずの仲良し家族だったそうだ」


 絵に描いたように幸せな家族。

 けれど、ルキアはそんなものは知らない。




 気がついたら、ルキアは病院にいた。頭と腕に傷を負っていた。
 何故こんな所にいるのか、理解が出来なかった。

『君の家は火事に遭ったんだ』

『怪我は軽かったが二日も意識が戻らなかった』

『ご両親は……残念なことだったが』

 眼鏡をかけたその医師らしき人が言った言葉を、理解しようと聞き入れる。けれど。


 両親。火事。―――私。

 全てが、霧に包まれたようにぼんやりとしていた。


 全てを忘れてしまったわけではない。
 『朽木ルキア』という名前を聞いた時、それが自分の名前だとすぐに理解できて、何よりもそれに安堵した。
 家族がいて、その人を呼ぶ記憶も、うっすらと残っている―――ような気がする。
 けれど、それ以外のものが、何も無い。

「色々なことを聞いたよ。だが、写真は残っていないという。
一心殿は自分の家族以外と写真を撮ることが苦手だったそうでな、
写真を残そうと考えるようになったのも真咲殿と出会ってかららしい。
だから、それより以前の友人である両親の写真は残っていない、と」
「………」
「どう思う」


 住んでいた家に戻らせてほしいと頼んだこともあった。
 そこに行けば何か思い出すかもしれない。思い出さなくても、何か残っているかもしれない。
 そう思ったのだが、一心に止められた。
 家は全て燃えてしまった。
 写真も想い出の品も殆ど見る影も無い状態で、残っていたのはこれだけだったと、
 煤けたうさぎのぬいぐるみを渡された。

 大事なものだった気がする。けれどこれだけでは、自分が何者なのか分からない。


 本当に全て燃えてしまったのか。

 本当は最初から何も無かったんじゃないのか。

 彼は本当に両親の友人なのか。

 両親は本当にいたのか。

 私は―――最初から一人だったんじゃないのか。



 疑惑は膨れ上がり、止まることを知らない。
 その疑惑を、ルキアは一護だけにはこっそりと打ち明けていた。
「…なあ、一護」
「……知らねぇよ。俺は親父じゃねえ」
 憮然とした表情で一護が呟く。

 父がルキアに語ったことは、確かにどこか信じがたい。
 ルキアを安心させるための嘘のような気がしてならない。

 けれど父がそうすることで彼女を守ろうとしているなら、それはそれで大事なことのように思えた。
 だから、一護はルキアの頭をガシガシと掻き撫でる。

「けどな、うちの親父はお前のことすっげー大事にしてる。それは俺にだって分かる」
「それは、……私も分かっている」
「だろ?だからお前を傷つけるような嘘はつかねえよ。
 ……お前の母親が美人でお前そっくりってのは間違いなく嘘だろうけどな」
「何だと!!」

 怒りに眉をつり上げて、勢い良く足を振り上げる。
 彼女の蹴りは俊敏で強い。細い足のどこにそんな力があるのか分からないが、当たれば男の拳ほどには痛い。
 それを思い切り背中で受けてしまい、一護の身体が前に倒れかけた。
「てっめぇ!何しやがる!」
「うるさい、レディーを侮辱した罰だ!―――もういい、帰るぞ一護!」
 ドスドスと音を立てた似合わない大股歩きに、一護はケッと吐き捨てて、そして小さく笑った。





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