子供のように 2
夢を見ていたのかと、思った。
ルキアが受けた養子の話。離してしまった手。突然の卒業。
それら全てが夢だったのではと、目が覚めたとき恋次は思った。
だって有り得ないだろう。眠る時は一人だった。けれど目が覚めたときには隣にルキアがいた。
肩先で跳ねる黒い髪。白い頬。閉じた瞼。小さな唇からは、すぅすぅと穏やかな寝息が聞こえる。
それは恋次の知っているルキアだ。今にも目を覚まして、「随分と馬鹿な夢を見たな」とふてぶてしく笑いそうではないか。
けれど、彼女の着ている上質な着物が、この一ヶ月が夢ではないと恋次に教える。
美しい絹の薄紫。しがない院生の恋次では、逆立ちしても買ってやれそうにない代物だ。
その着物を汚さないように気を遣ってか、ルキアは風呂敷を敷いて座っている。
片方の手は畳まれた日傘に添えられて、もう片方の手は???恋次の袖を柔らかく握ったままだった。
「おいルキア、……危ねぇぞ」
動揺しながらも、呆れたように呟く。
出自がどうあれ、今の彼女はどこからどう見ても良家のお嬢様だ。
人通りが少ないからといって、否、人通りが少ないからこそ、このような所でうたた寝をしていて良いはずが無い。
ここが彼らの生まれた戌吊であれば、今頃は良くても身包みを剥がされ、攫われているだろう。
傍で自分が寝ていただけ良かったと、恋次は己の袖を掴む小さな白い手を見つめる。
ほっそりとした小さな手。一ヶ月見ていなかったそれは、なぜか以前よりも小さく見えた。
(てか、こいつマジで縮んでねぇ?)
最初は、一ヶ月のうちにまた身長が伸びた自分のせいだと思った。
けれど、指先、着物から覗く腕や足首、首筋。その全てが、触れたら折れてしまうのではと思うほどに細い。
以前から成長が遅いのだとルキア自身気にしていたが、年頃の少女にしてはあまりにもふっくらとした丸みに欠けていた。
変わらないどころか、痩せているのだ。
美しい着物を着ているのに、豪勢な生活をしているだろうに。それなのに。
「……ちゃんと食ってんのかよ」
ぼそりと低く呟く。恋次の胸に、ひどく重い感情が落ちた。
霊術院では今、ルキアは恰好の噂の的だ。
特に恋次の在籍する特進クラスとルキアの在籍していた二組では、口さがない噂ばかりが飛び交っていて、
恋次は今、学校の中ではいつも機嫌が悪い。
『朽木の飼い猫』
『養子というのは建前』
『当主に見初められて』ーーー
それが嘘か真実か、恋次は知らない。聞くことが出来ない。
けれど、どちらにしろルキアが悪意に晒されていることは違いなく、それは幸せとは程遠い場所のように恋次には思えた。
小さく身を捩り、眉根を寄せる。その目元に浮かぶ、黒い翳。
それに気をとられていると、ふとルキアの手が恋次の袖から離れた。
離れてしまった指先は、何かを求めるように小さく宙を彷徨う。
それはまるで幼子のようで、恋次は思わず笑い声を漏らしてしまった。
何かを求めるその指に己の手を握らせる。するとルキアは安心したように、その表情を柔らかくした。
「ったく、起きんじゃねーぞ」
起きればきっと、驚いて困惑して怒って、そして逃げてしまうのだ。この猫は。
昔から、ルキアは深く甘えることを知らない。寂しがり屋のくせに意地っ張りで、虚勢を張るばかりで。
それでも家族のような存在の恋次だけには心を許していたのに、あの日から彼にさえ軽く甘えることも忘れてしまったようだ。
それは他の者から見れば凛としていて美しいのかもしれない。けれど、恋次にとってはただ寂しさを訴えるものでしか無かった。
目覚めないように、もっと深く眠れるように、己のそれより一回りも小さい手を撫でてやる。
(あー、あったけぇ)
体温の低いルキアの手ではなく。
ルキアが傍で眠るこの日溜りが、暖かい。
いくら後悔しても仕方の無いことだと分かっていた。
当たり前に傍にいた「家族」。当たり前だと思っていた空間。
それでもルキアが幸せになるなら、自分は平気だと思い手を離した。
とんだ大馬鹿者だ。
自分は平気だなんて、どうして思ったんだ。
「……ルキア」
ーーーもう一度、あの頃のように二人一緒に居られたなら。
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