子供のように 3




「何故起こさぬ!!」


 起き抜け早々、ルキアは怒声を上げた。
 予想通りでつまらないぐらいだと思いながら、恋次は何ということは無いようにシレッと答える。
「何でって…そりゃてめぇがグースカ寝てたからだろ。そっちこそ、何で俺を起こさなかったんだよ」
「でかいイビキをかいて寝ていたからな。これは起きそうにもないと思って放っておいたのだ」
「俺は何度か声かけたぜ? てめぇが起きなかっただけだ」

 嘘ではないが、真実でもない。
 確かに時折声はかけたが、それは彼女が起きない程度のものばかりで、決して彼女の目覚めを促すものではなかった。
 恋次の嘘にもならぬ嘘に、けれど元来まっすぐな気性の彼女は、途端困惑を顔に浮かべた。
「え。……ほ、本当か?」
 うたた寝を始めたのは昼だった。今は夕の刻だ。
 その間、恋次がずっとルキアと一緒に寝ていたとは考えにくい。
「す、済まぬ、恋次!」
「あぁ?」
「こんな時刻まで、ずっと待っていてくれたのだろう。……済まぬ」

 だからあの時去っておけば良かったのだと、軽く後悔する。
 せめて別の場所を探せばよかった。
 傍に誰かが居ることが心地良すぎて、微睡みから覚めるのが惜しくなってしまうなんて。

 恋次はポリポリと頭をかいて、俯くルキアを見下ろした。

「……なんかお前が素直だと気持ちわりぃんだけど」
「なっ!」
 眉を吊り上げ彼を見上げたルキアの頭を、恋次は平手で叩く。
 頭頂部を狙ったつもりが、彼女が頭を動かした拍子にその手は思い切り額に当たってしまった。
 痛みをこらえながら、何をする、と睨む。恋次は軽く「悪ぃ」と言いながらも、さして気にしている様子は無い。
 この程度はいつものやり取りの範囲内なのだ。
 今度はぐりぐりとルキアの頭を撫でながら、言う。

「今更気にするような仲じゃねぇだろうが。いちいち謝んなよ。相手は俺だぞ?」
「……そうだな」
 苦く笑う。その横顔が僅かに血色を取り戻したことに、恋次は安堵したように小さく息を吐いた。
 そして、ぎこちなくも明るく告げる。
 先ほどまでルキアに握られていた手の強さを、思いながら。


「なぁ、ルキア。なんか嫌なこととかムカつくこととかあったら、またここに来いよ。
 そういう時は、俺もついてきてやるから、来る時は絶対誘え」

 危ねぇだろ。

 真摯な顔だった。優しい目だった。
 ルキアは幼馴染のそんな表情がとても好きだった。

 お人好しめ。喉まで出かかった言葉を、声に出さずに留める。

 そうして首を横に振った姿は、彼女の心以上に穏やかだった。


「私は、お前と話をするのが好きだ。こうやって笑い合うことが好きだ。
 ーーーだが、お前に甘えるのはこれで最後にするよ」
「………ルキア」


 子供の頃のように手を繋いで、二人寄り添って眠って。
 けれど、もう二人は子供ではないのだ。
 世界に「家族」と「それ以外」しかいなかったあの頃とは違う。
 今自分が恋次に甘えて手を離そうとしないのは、彼が新しい世界に行くのに邪魔になるだろう。

 だから、手を離す。


「だから、もう来ぬ。大体、こんな変な眉毛の男とうろついているのを見られたら、
 恥ずかしくて朽木の娘などと名乗れんではないか」
「てっ、てめぇ……!」
 恋次の頬に朱が走る。自分で入れた刺青について指摘するのが、彼の反応を得るには一番効果的なのだ。
 そのいつもの反応に満足したルキアは、着物を引っ掛けないようにゆっくりと立ち上がる。
 僅かに乱れた黒髪を正すと、穏やかに恋次に向き直った。
「ーーーさて、私は帰るとするか。明日は入隊前の挨拶回りがあるのだ。早く帰って支度をせねば」
「……送ってやろうか?」

 日も暮れかけている。女一人が歩くには、少し心もとない時分だ。
 それでも強引に「送ってやる」と言えなかったのは、ルキアが無理をしていることに恋次も薄々気づいていたからだ。
 ここで自分が手を差し伸べれば、彼女が必死で守っている何かが崩れてしまうのだろう。

 ルキアは笑う。少し優しく、そしておどけた声で。

「……いや、大丈夫だよ。お前はもうすぐ最終試験なのだろう。寮に帰って鬼道の勉強でもしておけ。あのままでは落ちるぞ」
「うるせぇ!俺は他が優秀だからいいんだよ!!」
「はは、ではな!」
 飛び出すように駆け出す。おい、と怒鳴る恋次の声を背中に聞いた。
 再び差した日傘にすっぽりと収まる背を、恋次は見えなくなるまで見つめているのだろう。
 それを知っていたから、ルキアは振り返らなかった。




 子供のように甘えるのは、もう終わりにするよ。
 でも大丈夫。私は大丈夫。
 いつでも来いと言ってくれた、その言葉を支えにして、
 私はあの屋敷でも頑張って生きていく。

 ありがとう、恋次。
 ここでお前と会えて良かった。


「……ありがとう」