子供のように




 カチリと、日傘を畳む音が響く。


「……どうしてこんな時に限って同じ行動をするのだ」


 ルキアは呆れたように腕を組んだ。呆れたのは目の前の男に対しても、自分に対してもである。
 彼と逢うわけにはいかないと、通りかかるはずの霊術院さえもわざわざ遠回りして来たのに、
 目的の小高い丘に辿り着いた時には、既に先客が座り込んでいたのだ。


 わざわざ避けたのに結局鉢合わせるというのはどういうことか。
 長年共に暮らしていると思考回路や行動パターンも似てくるというのか。それは嫌だ。


 そんな、いささか失礼なことを考えながら、恋次の顔をまじまじと見つめる。
 一つに括られた鮮やかな赤い髪、大柄な体、能天気そうな寝顔。
 大木に背を預け、盛大にいびきをかいている姿は、随分と心地良さそうだ。


(……あの日から、ひとつきも経っていないと言うのに)


 ―ーー懐かしいと思ってしまった。
 思えば、彼とは養子の話をして以来、ろくに話も出来ないまま別れたのだ。
 話をしてもぎこちなく、一瞬の沈黙さえひどく重い。
 そんな時間を彼と過ごすのが嫌で、彼との会話自体を避けるようになってしまった。


 だから今も、彼を起こすわけにもいかず、けれど立ち去るのも癪で。
 ルキアは彼を起こさないように、静かに彼の前にしゃがみこんだ。




 間抜けにも口を半開きにしながら寝息を立てている幼馴染に、ルキアは届かないと分かった上で密やかに憎まれ口を叩く。
「また刺青を増やしたのか。もうどこからどこまでが眉毛なのか分からんではないか」
 苦笑する。そっと額に触れてその感触を楽しんでいると、彼の眉間がぴくりと動いた。
 思わずびくりと手を離して体を硬直させるが、彼が未だ夢の世界に居るのを見届けると、ルキアは安堵の息をつく。
 彼の眠りは思ったよりも深いようだ。

(恋次には、私のような悩みは無いのだろうな)

 不安で寝られない、などと言えば、きっとこの男は馬鹿笑いをして「ガキかよ」と言うのだろう。






 養子として朽木家に入って一ヶ月。
 一足先に霊術院を卒業し、今は護廷十三隊に入るための準備と貴族の令嬢としての教育を受けるのに忙しい。


 塗り替えられていく日常。
 己を圧する大人たちの視線。
 声をかけることすら憚られる、厚い壁の先の義兄。


 ルキアは恐ろしいと思うのを抑えることができなかった。


 自分で決めたことだろう。
 そう己に言い聞かせようとしても、心に嘘はつけない。
 恐ろしいのだ。このただ広いばかりの物静かな部屋が、屋敷が、それ以上の何かが。


 ここでどうやって生きていくのだろう。
 どうやって生きていけば良いのだろう。


 夜ごと強くなる恐怖に睡眠は浅くなり、それは彼女の精神力を更に奪っていった。
 寝る時に誰もいないことなど、霊術院の寮に入ってからは当たり前だったのに、
 今更になって寒空の下彼女を抱きかかえてくれていた腕が恋しい。


 けれど、このままではいけない。自分はもうじき護廷十三隊に正式に入隊するのだ。
 ただでさえ十分な実力を以って入隊したわけではないのだから、気力すら萎んでしまっていたら、
 ますます自分の居場所はなくなってしまうだろう。
 兎にも角にも今は眠れる場所が必要だと、ルキアは供もつけずに屋敷を抜け出し、この丘にやってきた。

 ここならばと思ったのだ。ここでなら一人でも眠れる。
 ここは、恋次と二人でよく昼寝をしに来た場所だったのだから。





 不自然な格好のままの手を下ろし、ルキアは大木に背を預ける。
 着物を汚してしまわぬように風呂敷を地面に敷くと、ゆったりとした動作で恋次の横に腰掛けた。
 その拍子に投げ出された骨ばった指に触れて、ルキアは少し逡巡したが、結局握り締めたのは彼の袖であった。
 その感触は驚くほどに指に馴染んでいる。―ーー安心する。

(ああ、隣に誰か居るというのは、こういう感覚だったか)

 ただそれだけで、ずっと冴えていた目がぼやけ、瞼が重くなった。


 ―ーーいけないここを離れなければ。


 恋次は敏い。
 肝心なことには鈍感なくせに、変なところで敏い。そして優しい。
 ルキアは彼に嘘を突き通せたことが滅多に無い。
 ルキアがあの家を恐れていることを知れば、恋次はひどく心配するだろう。
 そうなれば、また甘えてしまうかもしれない。

 だから、恋次が起きる前には、ここを立ち去らないといけない。



 そうは思っても、久しく訪れていなかった眠りへの誘いに、ルキアは抗うことが出来なかった。







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