とがびとの恋




  はらり、はらりと雪が舞う。
  冬と呼べる寒さになって初めての雪を、ルキアは傘も差さずに受け止めていた。
  手の甲に、首筋に、頬に、額に、結晶が落ちて。

  心地良いと、思う。


  己の唇が笑おうとしたのをルキアは自覚した。身を任せようとしたけれど、結局それは歪んで形を成さなかった。
  決して笑えないのではない。笑えないはずはないのだ。

  あの雨の夜から三月。口数も戻り、少しずつではあるが笑顔も浮かべられるようになった。
  それに気づいた誰かがそんな彼女を「己が罪を忘れたか」と唾棄したのを知っているが、
  それに対して彼女は肯定も否定もしなかった。そんな資格などありはしないと思っていた。
  ただ、自分は無様にも生き残ってしまったから。だから自分は愚鈍なままに笑うのだ。

  ―――私は、「可哀想」ではない、と。



  漆黒の死覇装では雪に染まることも出来ない。それを何となく歯がゆく感じながらもルキアは歩を進めた。
  まだ降り始めの雪は地面を濡らすばかりで積もってもいないが、それでもこの分であれば翌朝には銀世界に変わるだろう。
  冷たいとは思わない。氷雪系の斬魄刀の持ち主であるルキアにとってはこの景色も冷たさも慣れたもので、
  ルキアは震えることもなく前を見据えた。


  瀞霊廷は既に遠く、流魂街の人里離れたこの場所に、己を知る者など誰一人来るはずが無い。
  けれどもっと、もっと遠くに。誰も知らないところへ行ってみたい。
  足が急いた。逃げているわけでもないのに、まるで何かに追われているようだ。

  (追われている?)

  否、ルキアはかぶりを振った。
  本当は追われているのではない、自分は追っている側なのだと。
  追っている。焦がれている。ただ一つの存在を―――。









  「どこに行くんだ」



  声をかけられたことに気づくのに数拍かかった。腕を掴まれていることに気づくのに更に時間がかかった。
  自分よりも一回りも二回りも大きな手の力強さに引き寄せられるように、ルキアの視線は声の持ち主へと向かう。
  恐れは無かった。―――よく知っている声だ。

  「………何の、用だ。……恋次」
  「何の用だ、じゃねぇよ!!こんな雪の中、傘もささずにどこに行くのかと思って付いてきてみりゃ、
  テメーは山のほうに入っていこうとするし声かけても全然気づかねーし!」

  ぶるぶると声が怒りに震えている。手に持っていた手ぬぐいで乱暴にルキアの顔を拭うと、
  持っていた傘を開いて押し付けた。無理矢理ルキアに傘の柄を握らせた大きな手は驚くほど熱く、
  一瞬の熱にルキアは呆けていた目を大きく見開く。同時に強い風の音が耳をすり抜けていき、
  ルキアは初めて「其処」にいることに現実感を持った。

  「……貴様、風邪か? 手が……」
  「馬鹿野郎、俺は普通だ!テメーの体が冷たすぎんだよ!
  ただでさえ体温低いってのに、これじゃ死人みてえじゃーーー」

  言葉が止まった。
  ぐ、と恋次の喉が言葉を飲んだその意味を理解して、ルキアは苦笑する。
  相変わらずのお人好しだ。
  こんな、既に無関係に近いだろう昔馴染みに、いつまでも気遣う必要などないのに。

  「心配などするな」

  傘をやんわりと付き返そうとしたが許されず、仕方なくその下に収まる。
  傘の影に顔が隠れることに気が付いて、ルキアはその影から努めて明るい声を出した。

  「雪に触れていたのは、心地よかったからだ。此処まで歩いてきたのは考え事をしていたからで、
  呼ばれているのに気づかなかったのは風が強かったからだ。
  ……貴様の考えているようなことではない」
  「………」
  「もう少し歩いてから帰る。悪いが、傘は借りるぞ。……近いうちに返しに行くから」
  「………ぜってぇだぞ」



  ルキアに与えられる言葉を持たない恋次は、ただそれだけを呟き、去っていく。
  相応しい言葉を見つけるには、今の彼とルキアは遠く離れすぎてしまっているから。

  それでいいのだと、ルキアは彼の背を見送りながら思う。

  だって自分が望むものをくれるのは恋次ではないのだ。
  その優しさはきっと、己に許されるものでは、ない。

  傘の中から手を伸ばし、ルキアの手のひらが一片の雪に濡れた。

  ―――冷たい。

  やっと感じた冷たさに、死人のようだという恋次の言葉が脳裏をよぎって。
  その言葉を嬉しく思ったことの愚かさに、ルキアは自嘲の笑みを浮かべる。
  でもきっと駄目なのだ。こんな美しい真っ白の空の下ではなく、いずれ相応しい日が訪れる。





  自分で自分を罰するのでは足りなくて。
  誰かに裁いてもらうのでも足りなくて。

  自分勝手なこの身が求めているのは、やはりただひとつの腕だけだったのだ。


  (海燕殿。―――貴方が)


  ずっと、貴方が私を裁いてくれる日を待っている。