すべての向かう先は









 小鳥を殺した。愛刀で射殺す必要もなく、男にしては細い其の指で握りつぶしたら、あっけなく死んでしまった。
もはや用なしとそれを地に落とすギンの口元に、嬉々とした曲線が広がる。
 振り返れば、予想通り驚愕に目を見開くルキアと視線が交わった。

「何故殺した」

 ルキアの声は存外静かであった。
 怒りに震えるわけでも悲哀に濡れるわけでもなく、ただ冷静であった。
 だが、何とも思っていないのでもない。そんなはずはないのだ。
 時折庭を訪れるこの小鳥をルキアは気に入っていたし、
今も傍の部屋に置いてある餌を取って戻ってきたばかりだったのだから。
 ルキアの簡素な問いに、ギンは満足げな笑みをそのままに答える。

「つまらんかったから」

 そう、それだけのこと。
 自分には見せないような笑顔がこの小動物には惜しげもなく晒されるのは悔しい。
 自分とて気が向けば動物を可愛がることはあるけれど、どうせ高い声で鳴くならルキアであるほうがギンは嬉しいし、
怒りでも何でも彼女の瞳が向くべきなのは自分なのだと思っている。
 何より今のルキアの気を引くにはこれが一番効果的であったのだから、ギンに躊躇いなど当然ありはない。
 刀を握るとは思えぬほどほっそりとした指がギンに伸ばされる。
歓迎こそすれ、どうしてそれを避けようか。走る痛みは、ようやく彼女が自分を気にかけてくれた証なのに。



 けれどぴしゃりと頬を張るルキアの手に喜んだのもつかの間、ギンの喜びはあっさりと萎んだ。

「ルキアちゃん?」

 一瞬冷たい目を見せたルキアは、けれどその目を合わせることもなく地に膝をつく。
 茶色の毛羽と血の交じり合ったそれを慈しむように抱えると、ただ一言。

「帰る」

 ルキアは振り返ることもなくその場を去った。ギンに残されたのはたったそれだけであった。







「失礼します三番隊副隊長吉良イヅルです朽木女史はいらっしゃいますか!?」

 目が回るような早口で十三番隊隊舎の一室の障子を慌しく開けたイヅルに、
中で事務作業をしていた虎徹清音と浮竹十四郎は目を丸くした。
 ここ一週間、やたら三番隊の面々が隊舎を訪れる。
その最たる者が隊長のギンと副隊長のイヅルだったのだが、
それだけでなく他の席官や平隊士までもが十三番隊の隊舎を訪れるのだ。
そして皆、口を揃えて言う。朽木ルキアはいるか、と。

「た、隊長。朽木さん何かあったんですか?」

 全速力で走ってきたのだろう、息切れをしているイヅルを前に清音がひそひそと浮竹に問う。
ギンとルキアの「本当の」関係を清音は知らないが、二人と関係の深い浮竹とイヅルは当然知っている。
浮竹は清音の問いを苦笑で誤魔化し、そのまま八番隊へと遣いに出した。
清音が出ていくや否や、イヅルに申し訳なさそうに言う。

「すまんな、吉良。朽木は今日は十一番隊の援護で遠征に出ていて居ないんだ」

 ここ最近、何度こうして謝っただろう。
三番隊の面々の訪れが絶えないのは即ちルキアがつかまらないということだ。
その原因の一旦は自分にあるのだけれど、さすがにこうも続くと哀れになってくる。
 昨日までなら「だぁぁあ」とその場に崩れこむイヅルだったが、今日に至って既に限界なのか、
もうそれだけで引き下がることはなかった。

「嘘でしょう。嘘ですよね?浮竹隊長の傍で仕事をすることが多い朽木女史が
この一週間に限ってことごとく瀞霊廷を出てるなんてそんな偶然ありませんもんね?」
「う…そ、それは」
「市丸隊長なら『いません』!本当です!だから、だから困ってるんですよぉぉおお!!」

 最後にはやはりそこで崩れこんだ。これはもう何というか、哀れすぎる。
 人の良い浮竹は目の前の男をすげなく追い払うこともできず、困ったように頭をかいた。

「何だ。市丸のやつ、とうとう隊舎にも出てこなくなったのか?」
「そうなんですよ…!やる気が出ないからと屋敷から出てこないんです。
昨日までは、そりゃ殆どは朽木女史を探してウロウロしてるだけでしたけど、
半刻くらいは仕事してくださってたんですよ?なのに…!」

 業を煮やして屋敷に隊員を迎えに遣ったところ、「ルキアちゃんやないと嫌や」とあっさり帰されたという。
そしてそれは無理強いをした時点で遣いの隊員が死ぬであろう不機嫌具合だったらしい。

「お願いします。どうか朽木女史を貸してください。いえ、もうこの際話だけでもさせてください…!」

 土下座の勢いで頼み込むイヅルに、浮竹はとうとう観念した。




「おーい、朽木。聞いてるだろ?そろそろ出てきてやってくれないか?」
「―――仕方ないですね」

 この一週間一向に捕まらなかった朽木ルキア本人が、なんと奥の部屋からあっさりと出てきた。
 一瞬呆然としてしまったイヅルは数度の瞬きの後、声を裏返して叫ぶ。

「え、え、えええ!? 朽木さん!?」
「済まんな、吉良殿」

 ニィと笑うルキアに、軽く眩暈がした。
 確かに遠征は嘘だと思ったけれど、まさかこんな近くにいたなんて。
彼女の隙のない避けっぷりはやはり計画的なものだったのだ。

「いや、私とてずっとこうして隠れていたわけではないぞ?
実際虚討伐任務で何日か飛び回っていたし、いないことのほうが多かった。今日はたまたまだ」

 物言いたげな視線に先制し、しれっと答える。
そういった隊務を多く入れてもらっていたのは彼が思うとおりギンやその他につかまらないためなのだが、
まあそれは言わなくても分かっているのだからいいだろう。
 言いたいことは多々あれど、イヅルはルキアに縋るように肩を掴んだ。

「朽木さん、話は聞いてたよね!?」
「聞いていた。しかし三番隊と私はまったく関係がないぞ」

 彼女がつれないのには理由がある。
ルキアが付き合っているのはあくまで市丸ギン個人であって、しかもそれはプライベートだ。
公私のけじめという問題もあるが、何よりも部下を媒介に仲直りというのに納得がいかない。
 それはイヅルにも分かっているのだが、もうそんな配慮をする余裕もないほど
三番隊の業務は滞ってしまっている。これは最後の手段なのだ。

「もういくらでも市丸隊長を殴っていいし多少怪我させたっていいから!頼むよ、朽木さん!」

 これが忠実なる副官による決定的な一言であった。





 隊長格として相応の広さの屋敷に、ギンは一人で暮らしている。
家の造りなどには大して興味がないため、彼の屋敷も庭も至って簡素であった。
 このあっさりとした屋敷をルキアは「気兼ねしなくていい」と満足していた。
屋敷を維持するための使用人も臨時雇いが殆どだ。
彼女が門を通っても、誰にも咎められないし丁重に扱われることもない。
ルキアはそれが好きだった。
 


 背中を丸め膝に片肘を乗せ、やる気のない体勢でぽろぽろと餌を落とす。
 繰り返された行為のせいで庭先は餌だらけ。
それでも一向に鳥がやってこないのはひとえにギンがひたすら待ち構えているからだとは彼自身まったく気づいていない。

「何でボクがやっても寄ってきぃひんのやろ。ルキアちゃんはモテモテやったのになぁ」

 愚痴をこぼし口を尖らせる様はまるで子供のようだった。
いくら護廷十三隊の隊長と言えど、こればかりは一向に思うようにいかない。
 だが、さすがに飽きて手を止め、ハァと溜息を落とした頃だ。
一羽の鳥がそれはもう十分の餌が落ちているそこに降りてきた。
 ギンはニンマリとした曲線を深め、機嫌良く鳥に話しかける。
 毛色が違うし前よりは愛嬌がないが、まぁ問題はないだろう。

「こっち来ぃや。そや、そや、ええ子やね。うまいもん食べさせたるからまた来るんやで?」

 しかし、何かしら強い重圧を感じたのか、その鳥は一口二口食べると逃げるように飛んでいってしまった。
その後姿がルキアとかぶって、「けどルキアちゃんのほうがずっと綺麗やなぁ」などと
見当違いなことを呟きながらもギンは落ち込む。
 



「慣れないことをするからだ」


 突如耳に飛び込んできた声にギンは勢いよく振り返る。幻聴かと思った。
姿を見たときは幻覚かと思った。振り返った先にはいつから立っていたのか、
敢えて霊圧を消していたルキアが仁王立ちで立っていたのだ。

「ルキアちゃん!!」
「吉良殿が泣いて頭を下げてきたぞ。貴様、いい加減見限られる」
「いやぁ、ボクもええ部下持ったもんやなぁ!」

「………」

 ルキアの小言も遮って彼女を腕に閉じ込め、頬擦りまでするギンにルキアは閉口した。
『そう思うならせめて仕事はちゃんとやってやれ』と思うのだが、
今ギンに言っても多分無駄なのであろう。
 ―――しかし。

 ルキアは嘆息する。このままでは済し崩し的な仲直りどころか今すぐ寝室に直行な勢いだ。
 それはルキアとしては許せない。
一週間も避け続けていたのは、それがルキアの様々な反応を喜ぶギンに対して最も有効な方法だと理解していたからだし、
それをする程度には怒っていたからに相違ないのに。

「ギン。こら。…………ええい、聞こえておろう、離せ!!」

 口づけようと顔を近づけるギンの顔を手のひらで半ば掴むように押さえ込み、それを止める。
さすがに彼女を解放したギンであったが、それでも嬉しげな表情が変わらないのは、余程この一週間が堪えたのであろう。
思えば、想いを交わしてから今日まで、ここまで徹底的に避け続けたのはルキアとしても初めてのことだったのだ。
 脱力しかけた気持ちを心中で叱咤し、ルキアはギンの着物の袖に手を滑らせ、餌で汚れた手を強く握る。
例え新しく鳥を通わせようとしたのがルキアを喜ばせるためであっても、今は優しくなどしてやらない。
だって自分は怒っている。怒っているのだ。

「……墓参りに行くぞ、ギン。墓前でしっかりと謝れ。
埋めてやったときに散々『祟って良い』と言ってやったから鳥も貴様を許すはずなかろうが、
それは別に構わぬだろう?」
「構へんわ。ボクもキミの愛情独り占めしとったモンは嫌いやし」
「………貴様」

 心底苛立ちと呆れを溢れさせてルキアは呟く。
 それすらも気にしないギンは、痛いほどに強く握られたその手に、ただ目を細めた。










 (ボクに向けられる全部が愛しい)