何だか異世界にでも迷い込んだみたいだ。
ルキアは急に疲労を感じ、耐え切れずにその場にしゃがみこんだ。
ワンピースから膝が覗き、そこに額を付けると自らの体温の低さにほっとする。
……疲れたのは、暑いからだ。
頭が痛いのも、グラグラと視界が揺れるのも、暑いから、で。
「……痛い……」
零れた声は痛みを緩和させることもない。
むしろ音として聞こえた自分の声があまりにも情けなくて、嫌な気分になるだけだ。
(…………じ)
心の中で誰を呼んだのか、自分でも気づかなかった。
ただ、無性に泣きたくて叫びたくて仕方がなかった。
―――お前はどこにいるのだ。
誰に対しての問いなのか分からない。
家族が?友人が?あの男が?
私 が ?
(ああ、そうなのだ。迷子になっているのは私のほう)
帰り道が分からない。だって全て忘れてしまったのだ。
どのくらい俯いていたのか、ふと何かの気配を感じてルキアは顔を上げた。
焦点の定まらない瞳が黒い翅(はね)を捉える。
ちょう。
揚羽蝶とも違う、ただ漆黒に身を染めた蝶が目の前を飛んでいく。
思わず伸ばした手はしかし届かず、そのまま空を切る。
ルキアは地に手をついて立ち上がった。そして再び手を伸ばす。
触れたくてたまらない。この季節はずれの蝶に、心がひどく焦がれているのが分かる。
(―――届く!)
指先が黒に届くか届かないかの瞬間、けれどやはりそれは空を切った。
蝶はどこにもいない。ルキアの目の前には何も無い。
「はぁっ……はぁ……」
肩で息をして、どうしてこんなにも泣きたいのだろうと意識の冷静な部分が思う。
今までだって、あの紅髪の男が来た時だって、―――去った時だって、これほどに焦燥感を感じたことは無いのに。
(……いや、違う)
あの男が。―――『恋次』が来た時から。
本当はあの時から焦燥感は少しずつ溜まっていた。
それに今になって気づいただけだったのだ。
「あの、嘘つきめ…っ!」
分かっている。
あの男が探しているのは自分ではないし、居場所ならここにもある。
自分は新しい家族を愛しく思っていて、だから今それを失ってしまったらきっと耐えられないだろうとさえ思う。
けれど、それでも。
ルキアは走り出した。一護や遊子のことが一瞬頭に過ぎったが、引き返すことは出来ない。
ただただ一心不乱に走れば、その先に黒い蝶の影が見えるような気がした。
まるで自分が自分の意志でなく、蝶の意思によって動いているような気分になっていく。
―――導かれている。
「……っ!」
長い道のりを走り続けて目的地に辿り着く目前、突然糸が切れたようにルキアは躓いた。
サンダルの先が地面に垂直になり、そのまま倒れていくのを感じる。
体が地面に倒れこむ前に掌で体を支えると、四つん這いのような姿勢のまま顔を上げた。
門には、空座第一高校と大きく書かれている。
「恋次…っ!!」
「バカヤロウ、おせーんだよ」
頭上から、声がする。さらに顔を上げれば、黒装束に紅髪の男がすぐ背後から自分を見下ろしていた。
いつの間に後ろに立っていたのだ。
問おうとしたけれど、それは彼女が男に抱きすくめられたことによって喉元で止められる。
「テメーなぁ! てっきりまたどっか消えちまったのかと思ったじゃねーか!
ったく、焦ったぜ。テメーは全然見つからねーし、学校っだっつーのに人は少ないしで」
それは今日から夏休みだからだ。
文句を言おうとしたけれどやはり言葉は声にならず、ルキアは唇を強く噛む。
悔しいからではない。怒りからでもない。
「………かもの…っ」
もういい。もういいのだ。
例えこの男が別の誰かを探していたとしても。
いつか別の誰かが迎えに来てくれるのだとしても。
黒い蝶に焦がれて追いかけた先にこの男がいた。
―――嬉しいと思う理由など、それで十分だ。
だから。
(貴様の勘違いに、付き合ってやろうではないか)
ルキアは力の限り怒鳴りつけた。
「遅いのは貴様だ!!」