妹の心、兄知らず




 今日も良い天気だ。浮竹は障子を隔てて差す外からの光に目を細めた。
 声高く鳴くあの小鳥は以前朽木が餌をやっていた鳥だろうか―――。

 それが現実逃避であることを自覚していた浮竹は目の前の至極不機嫌な男に意識を戻す。
 男の表情は先ほどから変わらず、今の状況が冗談ではないことに浮竹は苦笑するしかない。
 脇息に肘を置き、やや砕けた格好で男に再び同じ問いをぶつける。
 出来る限り穏やかに聞いたつもりだった。

「白哉、いったいそれは何の冗談だ」
「冗談など申しておらぬ。即刻ルキアを十三番隊から異動させるのだ」
 突然の話であった。前触れもなく雨乾堂にやってきたと思えば、開口一番にそんなことを言う。
 付き合いの長い浮竹でなければ現実逃避さえ許されぬ剣幕だ。
「どうしてだ。朽木は良くやってくれているぞ?努力家だし、よく気が利く。
俺としては、このままうちに居てもらいたいんだが」
「兄の知ったことではない」
 にべもない。さすがに呆れが腹立ちに変わり、浮竹は表情を崩した。
「あのなぁ、まずは理由を言え、理由を!朽木をうちに頼んだのはお前だが、今は俺の部下なんだからな。
理由もなしに異動なんてさせられるか!」
 正論であった。それでも相手が浮竹でなければ本当の理由など言わなかっただろう。
だが相手は旧い付き合いでルキアの席官外しでも共謀した仲だ。
さすがの白哉も反論はせず、しばらく黙りこくった後に渋々と口を開いた。

「………ルキアは、いつも十三番隊の話ばかりをすると傍仕えの者が申すのだ」



「………はぁ?」

「私など家でも滅多に顔を合わせることが出来ないというのに、
ルキアは屋敷でも浮竹隊長がどうした海燕殿がどうしたとそればかり。
私は別に兄らの仕事ぶりや私生活を聞きたいわけではない」
 思い出したのか、白哉はひどくむっすりと不満げな表情を浮かべる。
 対して浮竹の心は晴れやかだった。目に入れても痛くないほどに可愛い部下が、
いつも話題(白哉の態度から見れば恐らくは良い内容だろう)にするほど自分たちを好いてくれているのだ。
そう思うと心だけでなく声も弾む。

「いいじゃないか。朽木がうちでうまくやってるってことだろう」
「何事にも程度というものがあるだろう」
「……十分程々の範囲内には収まってると思うが…」

 ああ、そうか。そういうことか。浮竹は納得すると共に様々な意味で同情を覚えた。
 不器用ゆえに未だ「程々」の範囲にも入れないことには純粋な同情を。
 だからと言って私情丸出しに隊の異動まで考える「やりすぎ」な点
(しかも白哉本人には「やりすぎ」だという自覚がない)には呆れと哀れが混ざり合ったような感情を。
 これで今まで長く義兄妹をやってきたのだというのだから信じられない。

 兎にも角にも、今ここに海燕がいなくて良かったと浮竹は思う。
 自分と同じくルキアを可愛がっているあの副隊長がもしこの話を聞いたなら、
きっとキレた挙句に説教をかまし始めて更に話がこじれるに決まっているのだ。
 そうならないうちに宥めてしまおうと、浮竹は考えた末にポンと膝を叩いた。

「そうだ。大体うちからどこへ異動させるつもりなんだ。消去法で決めたと言ったのはお前だろう」

 敷居が高すぎるだの低すぎるだの隊長に問題があるだの何だかんだと難癖をつけて、
最終的に残ったのが何事も平均的な十三番隊だった。
他にも五番隊が候補に残っていたのだが、事情を全て話せる浮竹のほうが頼みやすかったのだ。
 (もしもしばらく後であれば十番隊という手もあっただろうが、
 残念なことに、まだこの時勤勉な最年少隊長は隊長の座についていない。)
 浮竹の問いに、白哉はおもむろに口を開いた。
「………ルキアもそろそろ護廷十三隊に慣れてきたであろう。我が六番隊に……」
「いやいや、待て待て待て!!!」

「………何だ」
 言葉尻を制止でかき消され、白哉は不服げに問うた。真剣な顔の浮竹は、ゆるゆると重く首を横に振る。
「それは、やめたほうがいいぞ、白哉」
「何故だ」
 反対されるとは思っていなかったのだろう。
しかも明らかに自分の言い分が間違っていると言われているようで白哉は殊更に腹を立てた。
表情から丸分かりの彼の不満に、浮竹は言葉を濁す。
「あ〜……それは…」

「あたしが聞いてきてあげましょうか〜?」

 男二人が座する空間の中に、軽やかな女性の声が響く。
途端に重々しい空気が飛んで、浮竹は突然の闖入者を笑顔で迎えた。
「お、松本か。どうした」
「更木隊長からの書類ですよ。いっつも遅くてすいませんけど」
 あっけらかんと謝りながら両手に抱えた書類の山を室内に置く。
武闘派集団である十一番隊には珍しい女性席官の松本乱菊であった。
「断りもなしに入ってくるとは何事だ」
「まぁまぁ、いいじゃないですか朽木隊長!この書類渡さないと休憩入れないんですから、
待ってる暇なかったんですってば」
 白哉の叱責も笑顔でかわす彼女はなかなかの大物だ。
 それじゃこれお願いしますね、と書類の山をポンと叩いて、再びさっさかと出て行こうとする。
戸を開けたところで振り返った彼女の目は、面白いことを見つけた子供のように生き生きと輝いていた。

「やっぱりそういうのって本人の意思も確認しなきゃ駄目ですよぉ。
あたしがさり気な〜く聞いてきますから!」












「所属、ですか?」
 乱菊につかまり唐突な質問をされたルキアは事の次第を理解できずに首をかしげた。
当然だろう。いきなりその話から入ったわけではないにしても、
「十三番隊の他で所属するならばどこがいい?」と聞かれて戸惑わないはずがない。
 どうしてそんなことを、と問うたのだが、対する乱菊が「特に意味はないわよう」と明るく言うので、
とりあえずは世間話と彼女は理解した。
「そうは言われても、今の環境が一番私には居心地がいいので…」
 悩むように宙を見上げた後、真剣に、どこかはにかみを含めてルキアが返す。
あんた可愛いわねぇ、としみじみ思いつつ、けれど乱菊はふとある一点を見て形の良い眉をしかめた。

(……何やってんのかしら)

 これは後で絶対笑い話になる。むしろ今噴き出せないことが苦しくて仕方ない。
 そう思いながらも廊下の角から不自然に見える木の枝に向かって、
乱菊は首だけで「あっち行け」のジェスチャーをする。
霊圧は完全に消してあるというのに、どうして身を隠す方法がいまいちずれているのだろう。
「松本殿?どうしました?」
「え。あ、何でもないわよ。じゃあ朽木、ここだけは絶対行きたくないってのはある?
ここだけの話にしとくから」
 乱菊としては、遠まわしに核心に近づくつもりであった。
この問いの後にでも六番隊の印象を聞いてみようと思っていたのだ。
 けれど。




「あの、―――六番隊は、遠慮したいです」
 おずおずとルキアが口に出したのは核心そのものだった。

思わずぽかんと口を開けてしまった乱菊は、しかしすぐに我に返り、慌ててフォローを探そうとする。
「え。ね、ねえ、他にもあるんじゃないの?三番隊とか十二番隊とか!」
「あ、それも嫌ですけど。でも」
「でも?」
 急くように問い返す乱菊に、ルキアは俯いた。
 その表情は微笑を浮かべていながらも、少し寂しげだ。

「私は未だに席官につけなくて…。兄様はそんな私に不甲斐ないと呆れていらっしゃるし、
そんな兄様の下で働くのは、やはり恐れ多いです。
せめて、席官につけるほどの実力を…………って、松本殿?」

 顔を上げたルキアは、次の瞬間訝しげに乱菊を見た。一体どうしたのだと言うのだろう。
どこか遠くに視線をやっている乱菊は、「あちゃー…」という表情をしているように見える。
「え、何かあるんですか?」
 そう問うて、ルキアは振り返った。
 けれど、どこまで目を凝らしても何もない。
 ただ廊下の突き当たりで、陽光に反射する何かだけがルキアに違和感を持たせた。
「あれは何でしょう。点々と水滴が……」
「さ、さあ……。何かしらねー…」


 笑い話どころか、ホラーになると乱菊は思った。