THE FIRST
「すごいよねぇ」
「え、なんスか?」
頬に手を添えて感嘆の声をあげたヒトミに、剣之助はメレンゲを泡立てる手を止めた。
半ば無意識の独り言だったのだろう。振り返った剣之助に、ヒトミは慌てたように首を振った。
「ううん、ほんと手際いいなと思って」
「そっスか?…まあ、何度も作ってるし。あ、それもういいんで、さっき刻んだクルミ入れてください」
「はーい先生」
おどけた声で剣之助の指示に従う。その表情も声も弾んでいて、彼女がこの上なく楽しんでいるのが剣之助にも分かる。
二人が作っているのは苦めのココアケーキ。
それは本日のバレンタインデーのためのもので、食べるのは勿論ヒトミと剣之助自身である。
パティシエ志望の剣之助が作るケーキは美味しい。
それは長年食の道を極めて……極めすぎたヒトミにとっても変わらず、しかしそれゆえにバレンタインは悩みのタネだった。
恋人への本命ならば手作りをあげたい。けれど恋人の作ったもののほうが確実に美味しい。
複雑な乙女心である。そんな悩みから始まって、何故か二転三転し、結局今年は二人で一緒に作ることになったのだ。
後は焼くだけ、という段階まできて、オーブンの様子を見ていたヒトミが考えこむような表情をした。
素直な彼女の表情は剣之助にとっても分かりやすい。
どうしたのかと型を手に持ったまま彼女の様子を見ていると、その顔が今度は何か良いことを思いついたように輝いた。
中腰の姿勢から直立に直り、ねえねえ、と剣之助に声をかける。
「剣之助くん、これってあれじゃない?」
「あれ?」
「『二人初めての共同作業』」
がっしゃん。
剣之助が手に持っていた型が、派手な音を立てて床に落ちた。
流しこむ前だったから被害はなかったものの、金属の落ちる音は耳に響く。
そこまで反応するとは思わなかったのだろう、一度大きく見開かれた目が、一瞬の後に強く閉じられた。
床で一度跳ね上がった型が再び床に着地した頃、ヒトミは剣之助を覗き見た。
「剣之助くん、だ、大丈夫…?」
「あ、ああ………いや」
動揺のためか、おぼつかない返事しか出てこない。いきなり何を言い出すんだこの人は。
いや、確かに彼女の言っていることは冷静に考えて正しい。正しいのだけれど。
「先輩、それって普通結婚式とかでいうヤツじゃないっスか?」
「うん、そうだけど。でもあれは『夫婦』初めての共同作業、じゃない?」
あっけらかんと答えたヒトミは、どうやら特に深い意味もなく言葉を発したらしい。
というよりも、純粋に『初めての共同作業』が嬉しいようだ。
そんな彼女に冷静さを取り戻した剣之助が、床に落ちた型を丁寧に洗いながら考える。
「共同作業がケーキ切るだけってのもつまらないっスね」
切るよりも食べるよりも作るほうに興味がある剣之助には、そのイベントは大して良いものとは思えない。
それは一定以上の乙女思考はあるものの、基本は現実的なヒトミも同じらしい。
それもそうだと納得して、その話題は一度途切れた、のだが。
「あ、じゃあまたケーキ作るのが『夫婦初めての共同作業』にすればいいのか」
オーブンの中で回る型を見つめながら、ヒトミが思いついたようにぽつりと呟いた。
じゃあそのために練習しなきゃいけないっスね、と笑いかければ、ヒトミは数度の瞬きの後、嬉しそうに目を細めて微笑みを返す。
未来の話よりも、お互いのその笑顔が二人には嬉しかった。
「……でも剣之助くんの家って和式婚?」
「………」