あまいだけのかじつなんて









 くすりくすりと勾欄の奥から聞こえる女のさえずりは決して侮蔑や嘲笑の類ではなく、
どちらかといえば好意的な好奇心からであることを、修兵はすぐに悟った。
 客人をもてなすために足早に通り過ぎていく彼女たち使用人は
しっかりと教育を受けた出自の高い者ばかりだが、それでも妙齢の乙女であることに変わりはない。
「よそ」からやってきた警護の中に見栄えの良い青年が一人いれば、やはり心は躍るのだろう。


 悪い気はしない。女の視線を集めることは珍しいことではないし、良い気分すら感じる。
けれど修兵はシニカルな微笑を浮かべるばかりで、彼女たちに声以上の興味を持とうとしなかった。
 女好きと罵られ、自身もそれを認めている彼だが、その実仕事に対しては真面目なのである。


 今宵の宴は壮大であった。四大貴族や上級貴族に名を連ねる者ばかりが集まるそこは、四大貴族が一、朽木家の中庭。
 本来ならば朽木家の家人だけで十分に強固な護りを固めているのだが、
他にも名高い貴族が集まるとなれば護廷十三隊からも上席の死神を借り出さなければならない。
 それはれっきとした「瀞霊廷を護る」という仕事であり、
修兵は九番隊副隊長として幾つかの班を任されている。
ここで使用人の女性に声をかけて上司の顔に泥を塗るわけにもいかないのだ。



 それに、と。
 修兵は先ほどの女たちが向かった方角の、月明かりとは違う煌々とした灯火を睨んだ。
 修兵の担当区域は朽木の本邸と別邸の境目。見当もつかないほどの広大な建物に視界を阻まれ、
その向こうにある宴の様子など見えるはずもない。


 ああ、つまんねぇな。


 胸やけがする。仕事など知るか、と蹴り飛ばしたくなる。
賊でも何でも入り込んで、宴など中止になってしまえばいい。
 そうすれば―――



 そんなことを思いながらも己の持つ責任感は容易く放り出せなくて。
 何だかんだと青臭い自分を恥じて息を吐いたとき、睨んだ先から『胸やけの理由』が消えていることにようやく気づいた。




「お疲れのようですね、檜佐木殿」

 ふふ、と笑う瞳も声も、女の甘さとは遠いもので。
 それが普段の彼女と全く変わらないものだから、修兵は突然現れた彼女に驚きながらも、
彼女の華やいだ盛装をにやにやと見遣る。
「なかなか似合うな。脱がしてぇ」
「似合うのに脱がしたいとはどういうことですか」
 呆れ以外の何物でもない表情を浮かべて、ルキアは欄干に両肘をつき、修兵の方へ身を乗り出す。
廊の上に立つルキアと地に立つ修兵の視線は普段と逆で、それが背の低いルキアには嬉しいのだろう、
気づくやいなやルキアは小さく目を輝かせた。
一見気難しそうに見える少女だが、実は至極単純なことで上機嫌になったりする。


 いつになく無防備な、可愛い子猫はお姫様。


「で?」

 手を伸ばす。艶やかな黒髪に触れる。綺麗に結われていたそれを解き、己の口元に引き寄せる。

「俺よりイイ男はいたか?」
「私は兄様の隣で座っていただけですから。遠すぎて誰の顔もよく見えませんでした」
 髪に口づける修兵の仕草に驚くこともなく、素っ気ないほどにかわしてみせる。
それはルキアが彼との遣り取りに慣れたからの行動で、ほんの少しの遊び心に余裕の笑みさえ浮かべていた。
「恋次には言わないでくださいね。あ奴にバレたらうるさくて敵いません」
「そこであいつの名前出すか。―――ああ、でもやっぱ言ってないんだな」

 ここに彼女の幼馴染は今いない。『私用で隊を使っている』ように見られるのは不本意であるし、
また慣例であるため、朽木白哉率いる六番隊は今夜の警護を外されているのだ。
 それでも、もしもこの宴に参加している貴族の青年たちの目当てが彼女であり、
呈の良い集団見合いなのだと知っていれば、大人しく休暇を受け取ってなどいないだろう。
きっと今頃は、先ほど修兵が心に思い描いた「賊」になっていたに違いない。

「いいんです。兄様だってまだその気ではないですし、変な噂が流れたら厄介ですから」

 白哉がその見合いに気がないのはルキアにもよく分かっていた。
宴に華を添える舞も今日に限って『必要ない』と言うし、
ルキアの仕事はただ当主の妹姫として白哉の隣に座っているだけ。
それすらも、一刻もせぬうちに退出の許可が出て解放された。
 下手に居座って余計な交流をしてしまえば、後が厄介になるのだ。


 だから大したことではないのだと、ルキアは思っている。
 男の視線を浴びることは好きではないし、豪奢な着物は重くて仕方がないけれど。
それで少しでも養家の役に立てるのならば、見世物になるくらいは我慢が出来る。
 ―――心に想わぬ人と添い遂げるつもりは、毛頭なくても。





「分かってねぇなあ」

 大きな不満の溜息とともに吐き出された言葉は一言。
 それに眉を寄せるルキアの耳元に再び手を添えて、修兵は不敵に笑う。

「さっさと誰かのもんになっちまえば全部解決じゃねぇか。
お前は重い着物着て見世物人形になる必要もなくなるし、好きでもない男に抱かれる心配もなくなる。
その他大勢の野郎にもいらない期待をさせずに済むぜ?」

 今度は、ルキアはその手を避けなかった。
 修兵の言葉に幾度か瞬きをして、数拍の後皮肉げに笑っただけだった。

「その誰かとは誰でしょうね。皆目見当もつきませんが」
「さぁな。それが俺でありゃ、俺も万々歳なわけだが?」


(だから、俺の腕に落ちてこいよ。)



 そんな言葉に簡単に頷く甘さなど、この高枝の果実には望んでいないけれど。